五ヶ瀬川源流・向坂山 |
向坂山は宮崎県五ヶ瀬町と熊本県山都町と の県境にある山です。九州山地の中央部に 位置し北東側斜面には日本南端のスキー場 として知られる「五ヶ瀬ハイランドスキー 場」があります。五ヶ瀬川源流は山頂から 近くの東斜面にあります。また、南斜面に は椎葉村を通り日向市で太平洋・日向灘へ 注ぐ耳川(2級河川)の源流があり、さらに 西斜面には熊本市から有明海へと注ぐ1級 河川の緑川の源流があります。 |
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つまり向坂山は分水領の一つとなっており、まさに九州中央山地の「へそ」と言えます。近 年、向坂山は近くの白岩山とのトレッキングが盛んで毎年多くの登山客でにぎわっていま す。 |
この地域は、九州中央山地森林生物遺伝資源保存林に設定されています。動植物等の 採集、損傷、キャンプ、たき火、登山道以外への立ち入りを行わない、特に「ゴミ」 は捨てないで持ち帰る様に、ご協力をお願いします。 |
往還に歴史を偲ぶ また、向坂山は往還(古道、昔の街道)として九州全域を結ぶ交通の要所の一つとして重要な役割を果たしていたと思われます。 肥後の国、現在の熊本県上益城郡嘉島町(かしままち)から御船町、山都町、馬見原(まみはら)を通り日向の国、現在の宮崎県延岡市へ至る歴史街道を日向往還と言います。 馬見原は旧宿場町で経済の中心地でした。現在はR265とR218の交差地です。向坂山は馬見原からR265宮崎県椎葉村方面へ南下します。約11q進んで本屋敷から登山道です。 昭和の初期まで熊本県馬見原と宮崎県椎葉村を結ぶ駄賃付け馬が行きかう賑やかな街道でした。 古くは「壇ノ浦の戦い」(1185年)に敗れた平家一門が、この古道をとおって隣接する椎葉村に逃れたと伝えられています。 近年では、西南戦争で最後の激戦地となった延岡市の「和田越えの戦い」(1877年)で政府軍に敗戦した西郷軍が夜半に可愛岳(延岡市北川町)の急峻な山越えをして高千穂から向坂山を通り鹿児島へと逃れ帰った所として有名です。 |
4億4370万年の旅 宮崎県北部の高千穂町、五ヶ瀬町、特に白岩山、向坂山、鞍丘本屋敷、国見岳の一帯では古生代(石炭紀〜ペルム紀)に全盛期を迎えた単細胞の有孔虫『フズリナ』の化石が見つかっています。 石炭紀は現在より3億5920万年前から2億9900万年前までを指す地質時代、ペルム紀は約2億9900万年前から約2億5100万年前までを指す地質時代の事です。 映画(ジュラシックパーク)で有名になったジュラ紀が約1億9960万年前〜約1億4550万年前までを指し、私達人類の祖先が600万年前にチンパンジーの祖先と枝分かれしたのが人類の誕生とされていますから気の遠くなるような大昔です。 向坂山から北東に直線距離3Kmの所に祇園山(標高1307m)があります。1997年シルル紀を代表するクサリサンゴの化石が発見されました。シルル紀は上記の石炭紀、ペルム紀よりさらに古く約4億4370万年〜約4億1600万年前を指します。この時期に生物の本格的な陸上への進出が始まり、陸棲節足動物や最古の植物が出現したと言われています。 祇園山からは他に貝類、巻貝類、など13種類の化石が発見され、いずれも土地の名前を冠して「クラオカ・・・」「ゴカセ・・・」と命名されており世界でも有名なところです。 また、2006年2月には近くの五ヶ瀬川支流の三ケ所川から直径31pのアンモナイトが宮崎県内で初めて発見されました。約1億3000万年前の白亜紀前期の物です。(宮崎市県総合博物館展示) これらの化石の研究から九州島が地殻変動で隆起誕生した時、まず最初に現れたのが祇園山と言われています。 想像してみて下さい。この地を訪れる事で私たちは4億4370万年前の世界に触れることができるのです。 |
この付近一帯の化石採集で新しい種類の発見があるかもしれません。化石の採集を行う場合は事前に五ヶ瀬町教育委員会の許可を受けてください。 |